徳島家庭裁判所 昭和61年(家)570号 審判 1986年7月23日
申立人
○○病院院長 川上博
事件本人 中井研一郎
主文
事件本人の保護義務者として
本籍・住所・事件本人と同所同番地
高崎ツキヱ
大正8年12月5日生
を選任する。
理由
高崎ツキヱの審問結果、家庭裁判所調査官作成の調査報告書をはじめ本件記録を総合すれば次の事実を認めることができる。
1 事件本人は、昭和36年ころ、人の紹介により高崎ツキヱを家政婦として雇い、身の回りの世話をしてもらっていたところ、その約半年後に同女と同棲生活に入り今日に至っていること、事件本人は以前は砂利船に乗って働いていたものの、60歳になった昭和45年ころからは全く稼働せず(家事はよくしていたという)、高崎ツキヱの働きで、今日まで生活してきたこと、同人らは事情により同一戸籍に入籍はしなかったが、事件本人において昭和45年8月高崎ツキヱと同一の地番に転籍し、さらに同47年1月両名はともに現在の本籍地に転籍・転居していること、
2 事件本人には法定の保護義務者は存しないところ、その親族としては高齢の姉が一人生存するものの、同女はすでに永年にわたり事件本人と交際しておらず、親族としての情愛に乏しく、事件本人と関わることすら拒否している有様で、結局高崎ツキヱ以外には事件本人の世話をする者が見当らないこと、
3 事件本人は、昭和60年9月ころ2度目のいわゆるボケが始まって以降、失禁があり、夜間や早朝に戸外を徘徊し、自宅がわからなくなるらしく近所・を起こしてまわったりしていたが、老人性痴呆の症状が急速に悪化したことから、昭和61年5月21日○○病院に入院したこと、
4 高崎ツキヱは事件本人の保護義務者になってもよいとの意向を示していること、
以上の事実が認められる。
そこで考えるに、まず事件本人は精神衛生法3条にいう精神障害者にあたるものと認められる。
次に、前記のとおり事件本人には姉がいるとはいえ、結局高崎ツキヱ以外に事件本人のために親身な世話をするような者は見あたらないところ、前記認定事実によれば高崎ツキヱは永年にわたり事件本人と連れ添ってきたものであって同人の内縁の妻と認めることができるから、同女が同法20条所定の保護義務者となりうるか否かについて検討する必要がある。そこでまず、内縁の妻が同条所定の「配偶者」に該当するかについて考えるに、同条所定の保護義務者は、病院から精神障害者の入院の同意等を求められるなど事件本人の人権に深く関わる者である以上、保護義務者であるか否かは戸籍により明らかな身分関係(配偶者、親権者)あるいは家事審判(後見人、その他の保護義務者)において明確に決定されていることが必要であって、病院等の適宜な選択を許すべきものではないことは当然であるが、婚姻の届出をしていない特定の男女が婚姻に準ずべき内縁関係にあるか否かは必ずしも一見明白とはいえないから、内縁の配偶者は法定の保護義務者である「配偶者」には該当しないと解するべきである。しかしながら、かかる内縁関係にある配偶者は、互に他方の配偶者に対し扶助の義務を有し、婚姻費用を分担すべき義務を持つものと解される(最高裁判所昭和33年4月11日判決民集12巻5号789頁参照)から、同条所定の「扶養義務者」に該当するものと解するのが相当であり、従って同条2項4号によりこれを保護義務者に選任することができるものというべきである。
そして、前記のとおり、高崎ツキヱは、事件本人の内縁の妻と認められ、かつ事件本人の保護義務者に選任されることに異存がないから、これを最適任者として保護義務者に選任するのが相当である。
よって、主文のとおり審判する。
(家事審判官 虎井寧夫)